由緒

当加茂神社は、第70代後冷泉天皇の治暦2(1066)年、現社地に京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)のご神領・倉垣庄の総社として鎮祭された。
当時、平安時代の京都の文化が伝承され、今なおその多くの貴重な文化(神事)をそのままに伝承している。

倉垣庄の範囲は、「図譜村籍」【加賀藩の儒者富田景周著:文政2年(1819)】によれば、
射水郡では打出、針山新、海老江、古明神、明神新、柳瀬、二十六町、三十三箇、志村、八講、
摺出寺、小杉、大白石、小白石、願海寺、東老田、中老田、黒河、戸破、大手崎、鷲塚、大江など
38村と婦中郡では、針原、百塚、林新、北代、利波新、八町、練合など10村に及んでいた。

ご祭神に対する信仰は、往古から甚だ篤く、大正元年に富山日報社(現北日本新聞社)が行った、
県内社寺のうち最も信仰の篤い神社・仏閣を募集した際、最高位で当選した。

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